年末年始、秋田へ帰省。毎年恒例の帰省だが、両親がまだ元気なことに感謝。
先を思うと、色々な不安や考えておかないといけないこともあるわけだが、まだ来ぬ未来をあまり恐れていても仕方がない。
仕事納めの12月28日夜に東北道を北上。全く渋滞もなくスイスイだったが、北上から秋田道に入る手前で雪が激しく降り出してきた。
先を思うと、色々な不安や考えておかないといけないこともあるわけだが、まだ来ぬ未来をあまり恐れていても仕方がない。
仕事納めの12月28日夜に東北道を北上。全く渋滞もなくスイスイだったが、北上から秋田道に入る手前で雪が激しく降り出してきた。
秋田市内の雪はそれほどでもなく安心。
家来と僕が呼んでる実家の犬は、殿様が座るソファー席に座って僕に牙を剥いてきた。
そしてとうとう、東京に戻る間際には噛み付かれる下克上。
佐竹の殿様が美人をみんな水戸から連れてきただけあって、駅前を歩いていても、秋田はやっぱり美人が多い気がする。
佐竹の殿様が美人をみんな水戸から連れてきただけあって、駅前を歩いていても、秋田はやっぱり美人が多い気がする。
実家で食べる、きりたんぽは格別。
12月30日は一年ぶりに集結した3人で、実家から近い協和スキー場へ。雪質最高おっぱいみたいにパフパフ。
夜は、弟家族入れ総勢8人で秋田で焼肉と言えば大同門じゅー。
大晦日は、秋田のソウルフード吾作ラーメンへ。子供の頃から親しんだ涙ちょちょぎれる味、吾作ラーメン味噌バター。
しかし嫁には不評、札幌から来てる弟の子供達も食べたがらない。
昔から秋田県人はプライド高く見栄っ張りで楽天的な県民気質。
「おおぼら吹いで、うまいもの食って、酒っこ飲んで、唄っこうだえば天下泰平。何も言うごどない」通りの生き方を僕もしてきた結果、この有様に。
清和源氏の流れをくむ名門、佐竹氏の家紋は扇に月丸。殿様がいまだに県知事を務める我が秋田県。
天井はるかに太平山の 姿はけだけし三千余尺 長江流れて六十幾里 海へと馳せ行く雄物川波。
秋田名物金萬、28個食べました。
おせちと年越しそば食べて紅白とゆく年くる年観る正しい日本の年越し。
ろくな親孝行一つせず迷惑ばかりかけながら、人様の助けのお陰でこうして生かされ新しい年を迎えられている。
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