日本人として初のエベレスト登頂を成し遂げた日本エベレスト登山隊、その後の国際エベレスト登山隊、日本冬期エベレスト登山隊と、3回にわたる植村直己のエベレスト挑戦が語られている。
クライマーとしての技術は、決して抜きんでたものではなかったと思う。自身も、岩登りは苦手だと語っているし、実際コンプレックスも持っていたようだ。
山ヤとしては不器用ながらも、その一途な情熱と行動力、そして何より、人の気持ちを思いやり、人を惹きつけてやまない人間としての魅力。
本著の最後にある土肥正毅氏の解説が、全てを物語っている。
「ひとの嫌がることは、自らかって出ることが多く、どんな仕事にも骨惜しみをせず、馬鹿正直なほど取り組んだ。決して不平や不満をもらすことなく働いた。
自分には厳しく、他人に対しては寛大であった。また特に、先輩には礼儀を重んじ、ひとを立てることを忘れなかったし、細かい事にも気を配る男であった。
私もその恩恵に浴したひとりであったが・・・、それが又、あの人なつこい、さわやかな笑顔であったから、本当に気持ちよく接することができた。
後輩に対しても、誠に親切で、決して先輩風を吹かせることもなく面倒をみるので、誰からも慕われ尊敬された。
それが精神的にも、肉体的にも極限状態にある山の中においてであるから、下界ではしかりである。」
植村直己をエベレストの頂上に立たせたのは、技術だけではない、それら彼の持つ全てなのだと思う。
当時のエベレスト登山隊のように、大部隊を編成して頂上を目指していく場合、最終的にアタック隊に選ばれるかは、そのときの体調も含めた運に左右されるところも大きい。
誰もが皆頂上に立ちたいと思っているわけだから、隊員同士の競争や心理的なやり合いもあるだろう。
事実、世界中の有名クライマーが集められた国際エベレスト登山隊では、各隊員のエゴのぶつかり合いとなり隊は空中分解、誰一人山頂に立つことは出来なかった。
その点、日本の登山隊の場合、大学山岳部や山岳会の縦の繋がりが強いから、そこまでひどいことにはならない気がする。
アイスフォールを突破するとき、生死は一部運にゆだねられる。
植村が、山の神様に自分をゆだねる決心をする姿を読み、あらためて人の無力さと、謙虚であることの真の意味について思う。
エベレストを越えて (文春文庫 (178‐5))
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植村 直己
文藝春秋
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