ギャチュンカンでの山野井夫妻の壮絶な生還を書いた沢木耕太郎「凍」は素晴らしい作品だが、何より「垂直の記憶」は当の山野井本人の肉声。
「登っていなければ、生きていけない」と本人が言ってるように、多くの指を失ってもなお先鋭的なクライミングを続ける山野井さん。
両手両足20本の指がありながら、ダラダラと生きてダラダラと登ってる僕には、あまりに眩しすぎる。
死と隣り合わせの登攀の中に生の輝きを見出す、山野井さんの文章が鮮烈に心に残る。
いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死ぬ直前、僕は決して悔やむことはないだろう。一般的には「山は逃げない」と言われるが、チャンスは何度も訪れないし、やはり逃げていくものだと思う。だからこそ、年をとったらできない、今しかできないことを、激しく、そして全力で挑戦してきたつもりだ。
かりに僕が山で、どんな悲惨な死に方をしても、決して悲しんでほしくないし、また非難してもらいたくもない。登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。
僕だって長く生きていたい。友人と会話したり、映画を見たり、おいしいものを食べたりしたい。こうして平凡に生きていても幸せを感じられるかもしれないが、しかし、いつかは満足できなくなるだろう。
ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている。
「登っていなければ、生きていけない」と本人が言ってるように、多くの指を失ってもなお先鋭的なクライミングを続ける山野井さん。
両手両足20本の指がありながら、ダラダラと生きてダラダラと登ってる僕には、あまりに眩しすぎる。
死と隣り合わせの登攀の中に生の輝きを見出す、山野井さんの文章が鮮烈に心に残る。
いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死ぬ直前、僕は決して悔やむことはないだろう。一般的には「山は逃げない」と言われるが、チャンスは何度も訪れないし、やはり逃げていくものだと思う。だからこそ、年をとったらできない、今しかできないことを、激しく、そして全力で挑戦してきたつもりだ。
かりに僕が山で、どんな悲惨な死に方をしても、決して悲しんでほしくないし、また非難してもらいたくもない。登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。
僕だって長く生きていたい。友人と会話したり、映画を見たり、おいしいものを食べたりしたい。こうして平凡に生きていても幸せを感じられるかもしれないが、しかし、いつかは満足できなくなるだろう。
ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている。
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