『フォルトゥナの瞳』 百田 尚樹(著)

 
死の迫ってる人間が透けて見えるようになる、そして透け具合の進み方によって死期までも大体分かってしまうようになる。

もしある日突然、自分にそんな能力が出現したらどうするだろうか。

事故で死ぬ予定の人間なら、自分がその人に少しでも関わることで事故に出会う運命を変えてあげられるかもしれない。
 
透けてる人間たちは、ある意味自分には関係のない人たちなわけだから、放っておくのは簡単だ。関わらなければいいだけの話。
 
あるいは良心が許せずに、またこういう能力が与えられたのは人を救う使命が与えられたのだと思って、出来る限り助けようとする行動に出るだろうか。
 
実際、自分もその立場になってみないと分からない。

作品の中で「バタフライ効果」という言葉が出てくる。

蝶の羽ばたきが巡り巡って遠くの地で嵐を起こすかもしれないという寓話的な表現で、わずかな変化によって、その後の状態が大きく異なってしまうという現象を指すカオス理論。
 
 
「人間は朝起きてから寝るまでの間に九千回も選択をしている」という言葉も出てくるが、その選択の1つでも異なっていれば、あるいは全く異なる未来になっていくかもしれない。

そして、ほんの小さな変化を与えて、その人が死ぬべき未来を変えてしまうことは、果たして神の計画に逆らうことになるのではないかという非常に難しい問題がここで出てくる。
 
小説の中で主人公の 木山慎一郎は、体が透けてる人間に干渉して命を助けることは、自分自身の寿命を削っていくことになるのだと途中で気づき、関わることを止めるようになる。
 
そうであれば当たり前のことだ。
 
しかし、幼い頃に家族を火事で失い天涯孤独の身で友人も恋人もなく、自動車塗装工として黙々と働くだけの生活であった彼は、その能力を身につけてから生まれて初めて恋人を手に入れ愛を知るようになる。
 
他者の死の運命には関わらずに、彼女との幸せな人生だけを選択していけばいいと思うのに、そこで小林よしのり氏がよく持ち出す「私ではない公の心」が重大な決断を迫る事態になる。
 
もちろん誰だってまずは自分が一番大切だ。でも、愛する人や家族、あるいは多くの他者の命、自分を育ててくれた共同体や国の未来が懸かっている際、自己犠牲の精神がそれを上回ることがある。
 
エピローグで彼女の回想が語られ衝撃の事実が明らかになるけど、彼女が彼の命よりも自分自身の命を仮に選択したのだとしても、それが正義ではないなどともちろん誰にも言えないだろう。
 
自己犠牲か自分の命かという問題には、どちらかに正義があるわけではないのだ。
 
 
 
 
 
 

サミットガイド宮崎薫Office

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